うさぎの蝶番

※個人の感想です

SKE48を好きということ

メンバーの卒業がやたら多かったり組閣されたりと、もはや初期の原型をあまり留めていないけれど*1、それでもわたしはSKE48が好きだ。

「みんなを支えるリーダー*2」として活躍したメアリーダーこと平田璃香子ちゃんや、SKE48に入ったばかりなのにAKB48の『大声ダイヤモンド』の収録に行った当時まだ11歳だった松井珠理奈ちゃんを駅まで迎えに行って彼女の精神的な支柱となっていた大矢真那ちゃん、総選挙のスピーチで「新公演をください」と決死の思いで秋元氏に直談判した高柳明音ちゃんなどなど…。メディア露出が少なくても、グループ内で必要とされてかつ自分にできる役割を見つけて果たしていくメンバーたちの姿は、ベタだけれど「One for all, all for one.」という言葉がすごく似合うと思う。女の子の集団なのに、全国大会を目指す運動部を描いた少年漫画のような空気が漂っているかのようで。

中学高校と部活動には所属していたものの、個人プレーで活動していたわたしには、そんな仲間・チーム思いの子たちの姿がとてもとても眩しく見えた。そして自分もそんな生活を送ってみたかったという憧れから、ならばせめてそんな彼女たちが輝く姿をずっと眺めていたいとファンになっていた。(頑張りが報われたり報われなかったり、喜んだり悲しんだりしているメンバーたちについ自己投影してしまっているところもあると思う)

わたしにとって、SKE48は生き物だ。入ったばかりのメンバーは未分化細胞で、様々な刺激を受けて、本体を構成するための何らかの役割を持ったものへとそれぞれ変化していく。目がいくつあって足が何本あって…などと決まった設計図を持たず、状況に応じて形態を変えたり能力を進化させたり退化させたりと変化をせずにはいられない生物。

大量卒業や大組閣が続き、わたしの好きだったSKE48はどこか遠いところへ行ってしまったのかなと寂しくなったことがある。けれど、古畑奈和ちゃんや東李苑ちゃんらの中堅若手メンバーが手探りでもグループとして必死に前に進もうとしている様子を見ると、離れかけていた心が再び元の位置に戻り始めた。恐らくわたしは、そういうがむしゃらさや先述した仲間思いの心をSKE48の核として認識しているのだろう。それが受け継がれる限り、たぶんわたしはずっとこの生き物から目が離せない。

 

SKE48が好きだと言うと、アイドルという存在自体が好きだと思われるかもしれないけれど、自分の場合それは違うなと最近気付いた。

例えば、スペースシャワーTVなんかで知らないアイドルグループのMVが流れている最中でも、後ろ髪を引かれることもなくテレビの電源を切ることが出来る。たまに好みの子を見つけても、Googleで検索して、Wikipediaでプロフィールを見て、画像採集に勤しむ程度。「程度」と書きつつ、それなりに労力は使っているけれど、これらの行動は一過性に終わることがほとんどだ。しかも、興味の対象はグループではなく個人に絞られている。

とは言え残念ながらSKE48を初めて知ったときも恐らく同じような、というかそれ以下のアクションしかしていなかった。YouTube上にある『ごめんね、Summer』のMVを繰り返し観ているだけだった。松井玲奈ちゃんの可愛さに夢中だったということ以外、当時のわたしが何を感じ思ったのかは全く覚えていない。しかし、『偶然』流れていた曲を『偶然』気に入った後は、気付いたらカラオケでAKB48の『ヘビー・ローテーション』を歌う際はサビ直前の『僕はついているね』という歌詞のシーンでは「皆さん、いま映っているのがわたしの大好きな松井玲奈ちゃんです!」とドヤ顔をしていた。(※もちろん、歌う前に「途中でわたしの好きな子紹介していいですか?」と断っている)

そこから更に「玲奈ちゃんが好き」に「SKE48が好き」が加わるのだが、正直、いつまでも興味の対象を一人だけに絞っていたら、わたしは今SKE48のみならず玲奈ちゃんすら追いかけていなかったような気がする。

好きな子が大切なものを自分も大切にしようと思ったら、それを他の子たちも各々のやり方で大切にしていて、いつの間にか好きな子も大切なものも増えていましたというおはなし。

 

本人の口からの言葉でないと信じないと強がりつつも、やっぱり今日がどうか特別な日になりませんようにと願ってしまう。

*1:組閣は他の姉妹グループも同様にされているけれど

*2:http://ameblo.jp/ske48official/entry-10826986714.html