うさぎの蝶番

※個人の感想です

わたしの中のエリザベート

エリザベートと言えば、宝塚歌劇団のミュージカルで人気のハプスブルク家のシシィを連想される方の方が多いと思うけれども、記事タイトルのエリザベートはちょっとお隣(※ハンガリー)のバートリ家の貴婦人を指しています。

 

彼女の名前を検索ボックスに打ち込めば、大量のページがヒットすることでしょう。しかし、内容が内容なだけにデリケートな方にはなかなかショッキングな画像や文章が現れるやも。ひとまずは、彼女が「己の美のために、若い娘の生き血を求め続けた血の伯爵夫人」という知識だけを頭に入れていただけたら助かります。興味を持たれた方は各自で詳細を調べていただくということで。

※記事の構成上、彼女の家系は近親婚を繰り返していたために元来精神に異常をきたす者の多い一族だった可能性があるという事実はどこかに放り投げておきます。

 

ここまで前置き。

 

去る2月のこと。わたしは某所にあるフェイシャルエステのロビーで目をチカチカさせていました。特別照明が明るすぎたというわけではなく、大理石のような艶やかな床や至る所にさり気なくアクセントとして使われている金色の装飾に囲まれ、自分の場違い感を痛感していたのです。

 

わたしは元来それほど美容に気を使う人間ではありません。今回行ったエステでも、担当スタッフのお姉さんと「本日のコースはこれにて終了です。パウダールームに当社の化粧品がありますので、ご利用ください」「ありがとうございます。でも、マスクして一人で帰るだけなので大丈夫です」「お客様、マスクで眉毛は隠れませんよ」というやり取りをしました。

一応、人とお会いする時は、一緒に歩くその人に迷惑がかからない程度に身だしなみを整える程度の努力はします。しかし、これまでの人生で飽きるほど見つめていた現実によって、いつの間にかわたしの中から美への向上心というものは姿を消していました。

 

そのようなわたしが、何故フェイシャルエステに赴いているのか。理由は至極ありふれたもので、数少ない友人の一人が熱心に誘ってくれたからでした。

ボーイッシュな彼女のことを、勝手ながら自分のように美容への興味関心度低い仲間と思っていたので、疑り深いわたしは「もしやこれはマルチ商法…?でも彼女に限ってそんな…いや、彼女自身も気付かず加担してしまっているのかも…?」と訝しみつつも、無碍に断れず、結局予約を入れてしまったのでした。(幸いグーグル先生に聞いてみても、《エステ名 勧誘 しつこい》などといった関連ワードが出てこなかったこともあって)

 

そして迎えた当日。カウンセリングから始まって、塗ったり落としたり撮ったりエトセトラ。この記事の主旨からはずれるので、今はそのあたりは省きます。

ああ、それでもどうしても書きたいことが一つ。フェイシャルエステと言うからてっきり顔だけ使うのだろうと思っていたのですが、普通に服を脱ぐように言われて驚きました…。もちろん水泳の授業に使っていたラップタオルのようなものを貸してもらえたのですが、無駄毛の処理具合が気になりすぎて、お姉さんの説明をしばらく目を白黒させながら聞いていました。

 

元々しつこい勧誘をしないところだったからか、わたしが明らかに関心が低そうorお金を持ってなさそうとお姉さんに思われたからかは分かりませんが、一度商品ラインナップを見せられた程度で、後は入会のお誘いも次回の予約取りに関するお話もなくわたしはエステを後にしました。

 

問題はその次の日から起きました。

(※誤解のないように言いますが、行ったエステが《問題》だったのではありません)

いつもより早く目を覚ましたわたしの頭のなかで、前日のワンシーンが蘇りました。それは、お肌の写真撮影をしたときのこと。

「chikageさんのお肌は見えている部分はとても綺麗なのですが、一層下がるとダメージを受けている場所が多いですね」

美容への興味が低いわたしですが、これにはとてもショックを受けました。というのも、顔の造形に関しては諦めの境地に達しているものの、肌だけはよく褒められていたからです。もちろんお世辞が多々含まれていることも承知していますが、いわゆる思春期ニキビに持ち主を悩ませたこともない優等生で、自分の身体の中の数少ないお気に入りのパーツが顔の肌でした。さすがに赤ちゃんには勝てないものの、同年代の中では割と優良品だと思っていたわたしの自慢の肌が駄目出しを食らうなんて!

例えれば、外観だけを精一杯取り繕った貧乏貴族の館。壁の一部でも崩壊すれば、哀れな内装が一瞬にして露呈してしまうのです。

 

そのとき、突如何故かわたしは前置きに書いたエリザベート・バートリのことを思い出し、布団から飛び出して自室のパソコンで彼女に関する記事を読み漁りました。

幼い頃、テレビの再現ドラマで目にした血の伯爵夫人。赤い血がピッと飛び散る映像のバックで少女の叫び声が流れるシーンに怯えていたはずのわたしの心は、気付けば哀れな若い犠牲者たちではなくエリザベートの傍らに寄り添っていました。

 

現実を知っているから、高望みはしないけれど、せめて人並みの外見でありたいというのがわたしの願いでした。

身の丈にあった十分謙虚な望みであると思っていたものの、それすら不相応の領域にあったとは。空を飛びたいなんて言わず、このまま大地に足をつけて歩いていければ満足と思っていたものの、わたしを引きずり込もうとする地底からの手に対抗していかなければならないなんて。

例え若い娘の血が零れた肌がほんの一瞬だけ輝いて見えたとしても、そしてそれが光の反射が見せた幻想だと分かっていたとしても、わずかな希望のために手段を選ばずにはいられないという気持ちが分かるよ、伯爵夫人。マウスのホイールをいじりつつ、泣きながらわたしはそんなことを考えていました。そしてやがて泣き疲れて二度寝に向かいました。(肌とは裏腹にそこは赤ちゃんと同レベル)

 

数時間後。ホームページの閲覧履歴を眺めたわたしは心の中で大笑いしていました。いや気持ちが全く分からないことはないけれどそこまで同調はできないわ、と。あと、睡眠は大事です。(新美南吉の『二ひきの蛙』にも書いてありました)

 

ひと通り笑った後は、冬の夜の隙間風のような恐怖感がわたしの心の中を通り抜けて行きました。

 

外見を美しくしたいという思いが強くなるほど、別の何かが醜くなる

…こともあるかもしれない。

 

悪いように書いてしまいましたが、お世話になったエステでは有益な情報を得ることができて、いただいたアドバイスを現在スキンケアに活かしています。この辺りの肌は特に保湿に気を使ってあげよう、など。

 

わたしは実は美しくなりたいという気持ちが、ものすごく強いのかもしれません。しかし、一瞬現れたわたしの中のエリザベートが恐ろしくて、それを確かめようだとか、あったとしても願望を解放しようだとかいう気持ちには正直なれません。いつかそのような気持ちが変わる可能性が全く無いとは言い切れないけれども。

 

美しくなりたいという気持ちが悪いものだとは思っていません。ただ、再三言いますが、わたしは自分の中のエリザベートが怖いのです。彼女をゆめうつつ状態に保てる子守唄でも歌えるようになればいいかもしれませんが。